理想の予想方法

ずっと考え続けてきた。
どんな予想が1番当たるのか、儲かるのか。
そして実はその答えは、すでに数年前には頭の中にあった。
有機的な論理に裏付けされたイメージが反映された予想」
自分でもよく分からんのだが、一言で言うとこんな感じ。
筋道立ってはいるのだが無理がなく、なにより本人が「理に適っている」と悟る間もないほど刹那的に発生する「イメージ」。
振り返ってみて本当に大きく勝てたとき、果たして0から理論を組み立てて結論に辿り着いたのかと言われると甚だ疑問である。
トゥザヴィクトリーを選んだ時。
クラフトマンシップを選んだ時。
テレグノシスを選んだ時。
自分は馬柱を見た瞬間から、いや他のメンバーを見ることもなく彼らの名前を見た瞬間から、彼らを本命にする気だったように思えてならない。
それはすなわち簡単に言ってしまえば「直観」である。
賛否はあろう。
もっと簡単に言えばただの「勘」じゃねえかと思われてもしょうがない結論だ。
しかしそれはやはりただの「勘」ではないのだ。
本人が気付く間もないほどの早さで出される結論ということは、それまで培った理論やスキルに抵触する部分が無に等しかったから、感覚神経から脳に送られてくる電気信号のごとく滑らかな働きだったといえる。
つまり蓄えられた莫大な情報という名の大量のトラップを一瞬で潜り抜けてきた、非常に可能性の高い存在だといえるのだ。
じゃあなぜそれに気づいた時に直観を振り回さなかったのか。
まずは自分の中に理論もスキルも情報も足りなさ過ぎたことが一つ。
そしてやはりただの勘になってしまうのではというのが最大の懸念だった。
しかし最近それは解決された。
今大学で受けてるある授業で教官が紹介した宗教学者はこんなことを言ったそうだ。
「宗教とは直観に関わるものである」と。
すでに随分昔から、直観をありのまま受け入れようとするフィールドが人間の世界には存在したわけだ。
ならば後者について恐れる必要はない。
正直前者については若干時期尚早な感じもあった。
ただこれ以上筋道ばかりにこだわっては、私の競馬自体が輝けなくなると感じたのだ。
楽しめない競馬なんて意味がない。
直観での予想はきっと今までより成績の波が激しくなるだろう。
それもいいじゃないか。
少なくともマイルCでファイングレインは来てくれたんだ。
ダービーは本線だったじゃないか。
もういい。
これでいく。
だから予想のコメントは簡単になります。
そして眠いです。
最後のほうは起きたらきっと何書いてたか記憶にないです。
おやすみなさい。