競馬

さて割と詰めたフェブはハズレ。
まあ原因は分かってるのでそれは回顧で。
で、ふと帰り道に思ったこと。
例えば今日のレースを当てた人に、どう考えてその予想になったの?と聞いたとき、おそらく対象の8割くらいの人を論破できる自信がある。
論破というか、勝ったメイショウボーラーのレース前のコケる可能性についてツッコんで聞いたとき、それを全部潰してからボーラーを本命にしましたという人はほとんどいないだろうという話。
でも、だ。
結果的にどう足掻いたって当てたのはあちらさんで、正義はあっちにあるわけで。
いくらこうこうこう考えてオレはドンを本命にしたんじゃい!っつっても、もはやそれは妄想という言葉の範疇と一致するレベル。
何が言いたいか。
やっぱり当たるも八卦当たらぬも八卦というか、人事と尽くして天命を待つというか、そういう面はどうしてもあるんだなあと。
人間ごときがなんでも予測できる神になれるなんて思っちゃいけない。
思っちゃいないけど、その領域に触れようとするのも間違ってる気がする。
少なくとも勝つための条件を全て呼び込んだ偉大な一頭の競走馬よりは、馬券が外れた人間はあの瞬間みんな格下だったw
そういや予想材料が増えすぎる重賞より、それ以下の予想材料の少ないクラスのほうが馬券はよく当たってる。
知りすぎはよくないんだねきっと。
でも人間である以上、好奇心のバランサーを効かせるのって物凄く大変じゃないか。
大変大変。